石川賢治
河北町の偉人
ふりがな
いしかわ けんじ
解 説
安政6年(1859)谷地の前小路村に生まれました。
生まれつき賢く学問が好きで、山形の済生館附設の医学寮、米沢の西洋学校、仙台中学校で英語を学び、志を立てて上京し慶応義塾に入学しました。福沢諭吉の教化によって、「谷地読書協会」を組織し、山形県の読書運動の草分けとなりました。
27 歳の時、単身カナダに渡り、トロントで苦学を続け、見聞を広めて帰国。親戚や知人の協力を得て、資本金 15 万円で「株式会社 石川商会」を横浜に創立しました。その後、トロントに支店を設け、アメリカとカナダに生糸・絹布・ござ・段通(だんつう)を直輸出し、自転車・写真機・録音機などを直輸入しました。賢治は、日本とカナダ貿易の草創者であり、自転車業界の始祖と仰がれているのです。
谷地を去った後も、読書協会の育成や図書館建設について常に心を配り、明治 44 年(1911)私財の一部を図書館建設費として町に寄附しました。石川商会は誠実で手堅い取引の方針で社運は隆盛していましたが、度々の渡米と過労で倒れた賢治氏は、創立 15 年にして会社を解散してしまいました。
大正4年(1915)、待望の「大礼記念谷地図書館」が開館し、前小路に移転しました。終戦後間も無く、山形交通谷地営業所の火災で類焼、2 年後六供に移転しました。昭和 41 年(1966)に児童会館に「河北町立中央図書館」が新設されましたが、現在はサハトべに花に併設されています。
<年表>
安政6年 前小路村(現河北町谷地)に生まれる。
明治13年 読書グループを組織する。
明治14年 慶応義塾に入学する。
明治18年 谷地読書協会を組織する。
明治19年 単身カナダに渡る。
明治27年 横浜に石川商会を創立する。
明治42年 石川商会を解散する。
明治43年 鎌倉に転居し自適の生活に入る。
明治44年 図書館建設費として3千円、水道敷設費として千円を町に寄附する。東林寺再建屋根瓦費として千円を寄附する。
大正4年 大礼記念谷地図書館創立
大正5年 谷地図書館、前小路に移転増改築
昭和3年 大礼記念谷地図書館増改築趣意書提出
昭和12年 石川賢治、東京の自宅で逝去。享年79歳
昭和13年 未亡人かう氏から図書館建設費として1万円、三泉村の水田等3町5反、図書1200冊を町に寄附する。
昭和15年 役場裏で図書館の地鎮祭を行う。
昭和21年 山形交通谷地営業所より出火、図書館が類焼
昭和23年 六供の警部派出所跡に開館
昭和41年 児童会館内に「河北町立中央図書館」を開館
平成7年 サハトべに花落成。図書館を移転
<主な著作物>
望洋吟草(出版:私家版 昭和10年)