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原田 嘉兵衛

河北町の偉人
ふりがな

はらだ かへえ

​解 説

河北町名誉町民 昭和 54 年 4 月 10 日顕彰


明治 38 年(1905)谷地町高関(現河北町谷地)に生まれ、日本大学高等師範部地理歴史科に学び、地学の研鑽に励みました。

この間、日本地理学会会員、国際地理学会会員として国際的に活躍し、氏の研究は国の内外から高い評価を受けました。

昭和 39 年(1964)5月、日本大学の学術研究とあわせて専門的な立場から町全域の地下構造を探究し、地域発展の一助にしたいと、調査研究を決断しました。同年7月 20 日から8月1まで、第一次日大調査研究班が、葉山東南斜面の地質と沢水、水温並びに断層調査、電気探査法による平野(ひらの)地区の断層追跡等を行い、さらに第二次調査研究班が昭和 42 年2月 24 日から 27 日まで滞在して平野部の掘抜き井戸を中心に電気探査を実施し、基礎調査を終了しました。一次、二次の調査資料の分析に基づき、第三次調査研究班は、高関地内の地下構造の本格調査を行いました。


本調査の地層分析の結果、温泉湧水の可能性が極めて高いことが分かり昭和 42 年(1967)2月8日、日大調査研究班の手によって深さ300メートル地点で、孔口摂氏 30.6 度の被圧地下水の自噴を見るに至りました。これが、現在のべにばな温泉『ひなの湯』のもとであり、原田氏は本町の地域開発に大きく貢献しました。


なお、町立図書館に、学術的に貴重な氏の蔵書400冊余が寄贈されています。自ら設立し会長を務めた海洋科学研究所の「総合海洋科学」をはじめ、「地理学雑誌」70 冊などの学会誌です。

<年表>
  • 明治38年 谷地町高関(現河北町谷地)に生まれる。

  • 大正6年 谷地南部尋常小学校尋常科6年卒業

  • 大正8年 谷地小学校高等科2年卒業

  • 昭和3年 文部省施行専門学校入学者検定試験合格

  • 昭和7年 日本大学高等師範部地理歴史科卒業

  • 昭和8年 日本大学法学部に奉職

  • 昭和10~22年 錦城学園教諭を兼任

  • 昭和23年 日本大学参事、日本大学評議員、同参与理事、同文理学部事務局長を歴任

  • 昭和34年 日本大学海洋科学研究会を設立後、会長 学術雑誌「海洋科学」を発行

  • 昭和39~42年 日本大学の研究とあわせ、郷里河北町の地域発展の一助にと、町全域の地下構造を探究し、第一次から第三次までの調査の結果、地下深所から温泉を掘り当てて、現「べにばな温泉ひなの湯」の礎を築き、地域開発に大きく貢献した。

  • 昭和40~44年 日本アメリカンフットボール協会理事長を2期歴任し、毎年、日本大学アメリカンフットボール部の夏期合宿を河北町で行った。

  • 昭和45年 日本大学定年退職

  • 昭和54年 河北町名誉町民の称号を受ける。

  • 平成5年 88歳にて没する。

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