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細谷 巌太郎
河北町の偉人

ふりがな
ほそや いわたろう
解 説
弘化元年(1844)北口村(現河北町谷地)に生まれ、幼少期には当地方で最も有力の文人である槙五鳳、伊藤鳳山らについて読み書き、漢籍の素読等を習い教養をつみました。
明治 13 年(1880)に県議会議員となり、第 11 代そして第14 代の議長となりました。
明治 14 年「国会開設の勅諭」が下り、明治政府は明治 22年に議会を開設することを国民に約束しました。これにともない、明治 14 年は板垣退助の自由党が、翌明治 15 年には大隈重信の立憲改進党が結成されますが、このころから旧来の富裕層を中心とした政治結社「特振社」の結成に参画します。
明治 26 年(1893)より貴族院議員に選出され、大正 7 年(1918)までの間に2期(1 期7 年)つとめました。明治 29 年頃には進歩党の結成に参画しています。明治 31 年ころより憲政党、憲政会山形県支部を創立し支部長をつとめました。
明治 31 年には国策として設立された農工銀行創設時は頭取に就任し、大正 6 年まで頭取職をつとめました。
政治家としての活躍とともに、中国明代に詩書画が巧みで三絶と称された「文徴明」と、江戸後期の歴史家、漢詩人「頼山陽」に傾倒して、詩書にも励みました。
とりわけ、東洋古美術への見識と審美眼は高く、美術品の蒐集においては一大コレクションをなしました。

<年表>
弘化元年 北口村(現河北町谷地)に出生
明治13年 県会議員
第11代議長
第14代議長
政治結社「特振社」の結成に参画
明治26年 貴族院議員 大正7年(1918)まで。
明治29年 進歩党の結成に参画
明治31年 憲政党、憲政会山形県支部を創立し支部長
明治31年 農工銀行創立頭取 大正6年(1917)まで頭取
大正8年 逝去 76歳
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