top of page

大塚 文雄

河北町の偉人
ふりがな

おおつか ふみお

​解 説

河北町名誉町民 平成 22 年 11 月 3 日顕彰


昭和 15 年(1940)7月 20 日、父日塔安吉、母フチヱの4男として、三泉村字造山(現河北町造山)に生まれました。

三泉中学校2年生から、民謡グループあずま会に入会するなど早くから民謡歌手への道を志し、県立谷地高等学校卒業後に上京し、当時、民謡歌手の代名詞的存在であった初代鈴木正夫に入門、昭和 36 年(1961)日本民謡協会主催の全国大会で「新相馬節」を歌い優勝、同 41 年に山梨県民謡「市川文殊/正調粘土節」で歌手としてデビューしたのです。


その後順調に吹込みを伸ばし、同 52 年(1977)発売された舞踊歌謡「祝賀の舞」は100万枚を越えるミリオンセラーとなりました。以来、澄み切った高音の大塚節をつくりあげ、民謡界を代表する国民的歌手の1人として活躍することになったのです。


また、テレビ番組や全国のイベントなどにも数多く出演しては、民謡の指導と普及宣伝活動に勤め、これまで吹込んだ曲は民謡400曲、歌謡曲60曲を越し、指導した生徒(弟子)は 3000 人を数え、現在も首都圏を中心に3つの教室を持ち 250 人に教えています。こうし

た実績が認められ、平成 21 年(2009)10 月には、日本民謡協会より「民謡名人位」を与えられました。

同時にふるさとへの想い厚く、山形県や河北町の「動く広告塔」として山形花笠まつりや町のイベントを盛り上げるなど、多大な貢献をしております。

<年表>
  • 昭和15年 7月20日、父日塔安吉、母フチヱの4男として、三泉村字造山(現河北町造山)に生まれる。

  • 昭和29年 中学2年生、山形県民謡グループ「あずま会」に入会

  • 昭和34年 県立谷地高等学校卒業。上京し、初代、鈴木正夫先生の内弟子となる。

  • 昭和36年 「新相馬節」を歌い、全国大会で優勝

  • 昭和40年 三味線の名取「藤本秀頼」となる。

  • 昭和41年 「市川文殊/正調粘土節」で歌手デビュー

  • 昭和48年 イスラエルにおける国際民族芸能祭に日本代表として参加

  • 昭和52年 「大塚文雄リサイタル」を山形にて開催

  • 昭和52年 舞踊歌謡として「祝賀の舞」を発売

  • 昭和55年 有楽町「日本劇場」において、初の記念リサイタル関催

  • 昭和55年 河北中学校で地元後援会設立総会

  • 昭和56年 「サヨナラ日劇フェスティバル公演」ワンマンショー開催

  • 昭和57年 「べに花かほく音頭」発表

  • 昭和58年 民謡歌手として初の歌舞伎座でのリサイタル開催

  • 昭和62年 新橋演舞場にて、30周年記念リサイタル開催

  • 平成2年 目本武道館にて「~おらあ!山形だや!!~」公演

  • 平成2年 「街かどテレビ1100」、「ふるさと民謡まつり」などテレビ番組の審査や司会を担当

  • 平成4年 大井町・きゅりあん小ホールにおいて「大塚文雄・山形ひとり舞台」~ふるさと賛歌・最上川~開催

  • 平成5年 第1回「民謡四人の会」原田直之・鎌田英一・藤堂輝明とチャリティーショー開催

  • 平成6年 細川たかしさんと「二人のビッグショー三橋美智也を唄う」で共演

  • 平成8年 東京・厚生年金会館大ホールにて記念リサイタル開催

  • 平成8年 デビュー30周年記念「大塚文雄民謡大全集ベスト100曲」発売

  • 平成9年 「山形ねんりんピック‘97」出演

  • 平成9年 「年忘れにっぽんのうた」出演

  • 平成10年 ミャンマージャパンフェスティバル1998、アセアン創立30周年、ミャンマー建国50周年に「ヤンゴン国立劇場」にて日本代表として出演

  • 平成13年 「大塚文雄ひとすじの道35年」を東京・芝メルパルクホールにて開催。「大塚文雄大全集200曲」を発売

  • 平成14年 新曲「名将 前田利家」、「土佐のあばれ船」を発表。スペイン、グラナダ市の日本伝統芸術祭に参加

  • 平成17年 「舞踊歌謡」「相生の舞」「鳥海山」新曲発売

  • 平成18年 大塚文雄デビュ一40周年記念コンサート「おらあ!山形だゃ!!」開催

  • 平成21年 民謡界の至宝「民謡名人位」を受賞

  • 平成22年 河北町名誉町民となる。

bottom of page