尾形 喜代治
河北町の偉人
ふりがな
おがた きよじ
解 説
河北町名誉町民 平成 12 年 6 月 20 日顕彰
大正3年(1914)、谷地町横町(現河北町谷地)に生まれました。
谷地小学校高等科を卒業し、兄の大工業を手伝っていましたが、少年時代から細工を好み、木彫りも試みました。
昭和 10 年(1935)、県内有数の展覧会に木彫「角兵ヱ獅子」を出品し、みごと知事賞を得て、彫刻家として身を立てようと志し、翌 11 年 23 歳で上京しました。
彫刻家内藤伸、澤田政廣に師事して腕を磨き、昭和 16 年(1941)新文展出品の木彫「撃」が初入選、同 21 年、日展出品の「みのり」、「拓く男」が連続入選。生来の天分と研鑽が開花し、次々と秀作を発表します。日展では昭和 22 年出品の「砂丘」、翌 23 年出品の「肩車」が連続して特選、同 34 年出品の「若き日」と計3回特選の栄誉に輝きました。日展審査員や同評議員も数回務め、わが国彫刻美術界に不動の地位を確立しました。
一方、昭和 26 年(1951)には、当時の在京県出身美術家たち6人による同樹会の結成に参加し、東京と山形で数年にわたり同人会展を開催し、郷土美術の啓発に貢献しました。
また、氏の作品は、東京都内始め全国各地に、平和記念像やその地の偉人の肖像彫刻が銅像として存在し、堅実で格調高い作品が高く評価されています。郷里の河北町にも、氏の寄贈作など多くの作品があり、公共施設や街頭に展示されて町民に親しまれています。
<年表>
大正3年 谷地町横町(現河北町谷地)に生まれる。父:代吉、母:るいの7男
昭和3年 谷地尋常高等小学校卒業。兄の家業(大工)を手伝う。
昭和10年 山形県美術家協会総合展に木彫「角兵ヱ獅子」を出品し、知事賞となる。
昭和11年 彫刻家を志して上京。内藤伸の門に入る。23歳
昭和14年 帝展審査員澤田政廣に師事。
昭和16年 第4回新文展に木彫「撃」初入選。以後、主な中央展に連続出品し、入選
昭和21年 第1回日展に「みのり」を出品し、入選
昭和22年 第3回日展に「砂丘」を出品し、特選となる。
昭和23年 第4回日展に「肩車」を出品し、特選となる。
昭和26年 在京山形県出身美術家6名による同樹会結成に参加。以後数年にわたり東京、山形にて同人展を開催する。
昭和34年 弟15回日展に「若き日」を出品し、特選となる。
昭和36年 日展会員、委嘱となる。
昭和37年 日展審査員となる(以後5回)。
昭和49年 日彫会審査員となる。
昭和53年 日展評議員となる。
平成6年 日展参与就任
平成12年 河北町名誉町民に選ばれる。
平成18年 昭和43年(1968)から同60年(1985)に至る制作のブロンズ像「月靖」、「妖魚」、「望郷」、「懐郷」、「意夾」の5点、河北町中央商店街歩道に設置される。
<主な作品等>
角兵ヱ獅子(山形県美術家協会総合展 知事賞 昭和10年)
撃 (第4回新文展 昭和16年)
みのり(第1回日展 昭和21年)
拓く男(第2回日展 昭和21年)
砂丘 (第3回日展 特選 昭和22年)
肩車 (第4回日展 特選 昭和23年)
葦笛 (第5回日展 昭和24年)
希望 (第6回日展 昭和25年)
男の像 (第7回日展 昭和26年)
裸婦 (第8回日展 昭和27年)
男 (第9回日展 昭和28年)
夜虹 (昭和31年)
地平 (昭和31年)
若き日 (第15回日展 特選 昭和34年)
世界連邦平和像 (東京都小金井市 昭和37年)
靖霊の塔立像 (河北町 昭和41年)
歌郷 (石川県立美術館 昭和51年)
世界連邦平和立像(東京都福生市役所前庭 昭和59年)
釈迦如来御像 (東京都港区永平寺別院長谷寺 昭和62年)
世界連邦平和立像(東京都青梅市 平成元年)
青梅市長榎戸米吉翁立像(東京都青梅市釜の淵公園 平成2年)
河北町長市川清矩翁胸像(河北町 平成2年)
叙情 (河北町に寄贈 平成7年)
佐藤敏雄立像(東京都青梅市釜の淵公園 平成9年)