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菊地 匡

河北町の偉人
ふりがな

きくち ただし

​解 説

河北町名誉町民 昭和 63 年 10 月 11 日顕彰


明治 41 年(1908)、溝延村(現河北町溝延)に生まれました。

昭和9年(1934)日本医科大学を卒業し、同 12 年から軍医として従軍しました。同 19 年からは溝延で医院を再開し、地域医療に尽くしました。

昭和 30 年(1955)4月、河北町議会議員に初当選を果たし、新しく成立した河北町の大きな目的の一つであった財政の効率化について誠心誠意力説してきました。地域格差の是正、地域住民の所得向上、生活文化及び文化水準の向上、更に急激な社会情勢の変化に応ずるために社会教育の果す役割が大きいと認識し、その整備の実現に大きく貢献しました。


12 年間の副議長を経て町議長に推挙されました。議会からの信頼を受け良き指導者として円滑な運営、基礎の確立につとめ地方自治振興・発展に努めました。

昭和 49 年(1974)10 月、河北町長に立候補、当選を果しました。氏は地方自治の発展、地域社会の福祉向上に貢献され、氏が在職中に取り組まれた主な事業は、農村総合整備モデル事業、県立河北病院新築移転事業など、更に公共下水道事業に意を注ぎ、計画的整備を図ります。


教育関係では 4 つの中学校の統合を図りました。病の為やむなく町長 2 期目の立候補を断念したものの、病の回復後、社会福祉法人河北福祉会を設立し、その理事長に就任、特別養護老人ホーム「眺葉園」の管理運営にあたられ、福祉の向上に奔走します。

氏は至誠一路、その半生をかけて河北町発展、住民福祉の向上に尽くしました。

<年表>
  • 明治41年 溝延村(現河北町溝延)に生まれる。

  • 大正15年 山形中学校卒業

  • 昭和 9年 日本医科大学卒業

  • 昭和 9年 東京 小出小児科院勤務医となる。

  • 昭和11年 河北町溝延にて診療開始

  • 昭和12年 従軍医として召集され休診となる。

  • 昭和19年 郷里に帰り医院を再開する。

  • 昭和22~27年 溝延村教育委員協議会委員

  • 昭和24年 溝延小学校校医となる。

  • 昭和27~29年 溝延村教育委員副委員長

  • 昭和29~30年 河北町教育委員副委員長

  • 昭和30~32年 河北町議会議員

  • 昭和32~44年 河北町議会副議長

  • 昭和44~49年 河北町議会議長

  • 昭和49~53年 河北町長

  • 昭和63年 逝去 河北町名誉町民の称号を受ける。 勲四等瑞宝章受章

[主要団体職]
  • 昭和37~50年 山形県医師会理事

  • 昭和49~57年 寒河江市西村山郡医師会議長

  • 昭和56年~   社会福祉法人河北福祉会理事長

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