今田 信一
河北町の偉人
ふりがな
こんた しんいち
解 説
河北町名誉町民 昭和 57 年 3 月 27 日顕彰
明治 34 年(1901)6月溝延村田井(現河北町田井)に生まれ、大正 12 年(1923)に山形師範学校を卒業すると、溝延小学校を振り出しに、各地で小学校訓導や青年学校教諭を歴任しました。
師範学校時代に専攻した歴史、地理、国語の専門的な学術研究を続け、当時、教育方針の柱の1つであった郷土教育実践の先頭に立ちました。
昭和 22 年(1947)、教育制度の改革に伴って生まれた谷地町立谷地中学校の校長に任命され、以後、中学校長を歴任して教職を退きました。
昭和 25 年から谷地町誌、河北町誌編纂委員長を務められ、その結晶が『河北町の歴史』上、中、下巻ですが、執筆・編集した河北町史の研究叢書・編纂資料の数々は 50 冊を越えます。
山形県史編纂委員・同編纂会議員・同調査執筆委員として、山形県史の編纂事業に協力しました。県史の他にも数多くの市町村史などに編集執筆委員として参加しました。
数多い研究分野の中で、一貫して興味を持たれたのが最上紅花でした。昭和 17 年(1942)の「最上紅花資料」の発表以降、その研究が『最上紅花史の研究』に結実しました。研究者の間で高い評価を得ているこの本が“べに花の里かほく”の学術的裏付けになっています。
<年表>
明治34年 今田忠男の長男として溝延村大字田井(現河北町田井)に生まれる。
大正12年 山形県師範学校本科第一部卒業
大正12年 溝延尋常高等小学校訓導に任命
昭和22年 河北町立谷地中学校初代校長任命
昭和25年 谷地町誌編纂委員長
昭和29年 河北町誌編纂委員長
昭和34年 左沢町立左沢中学校長を退職
昭和34年 山形県史編纂嘱託(~昭和49年)
昭和45年 山形県史編纂委員委嘱
昭和45年 斎藤茂吉文化賞受賞
昭和45年 河北町長より郷土史研究功労賞受賞
昭和46年 山形市史編纂委員委嘱
昭和47年 勲五等瑞宝章受賞
昭和48年 山形県史編纂会議員、専門会議員、編纂委員に委嘱
昭和57年 河北町名誉町民の称号を受ける。
昭和60年 没
<主な著作物>
谷地町凶饉志(出版:谷地町郷土研究叢書第一輯 昭和2年)
谷地町における市の変遷(出版:谷地町郷土研究叢書第二輯 昭和13年)
谷地町の運輸交通史 (出版:谷地町誌編纂資料編第二輯 昭和27年)
村山地方における近世農業経営の停滞(出版:寒河江町史編纂研究叢書第四輯 昭和28年)
村山地方のおける近世質物奉公人の生態(出版:谷地町誌編纂資料編第六輯 昭和28年)
近世における三大凶饉とその対策(出版:寒河江町史編纂研究叢書第四輯 昭和29年)
山形県草履発達史(出版:谷地町誌編纂資料編第七輯 昭和29年)
谷地地域における川と用水の話(出版:谷地町誌編纂資料編第八輯 昭和29年)
最上紅花取引形体に関する生産者並問屋の論争(出版:谷地町誌編纂資料編第一一輯 昭和29年)
最上紅花史放談十話(出版:寒河江市史編纂叢書第九輯 昭和31年)
河北教学の展開(出版:河北町誌編纂資料編第二一輯 昭和31年)
最上商人を育てた青苧(出版:寒河江市史編纂叢書第一一輯 昭和32年)
谷地町に於ける市の変遷(増補)(出版:河北町誌編纂資料編第二八輯 昭和33年)
河北町の歴史(出版:上巻 河北町誌編纂委員会 昭和37年)
山村 小山村の歴史 (出版:西川町小山公民館 昭和38年)
河北町の歴史 中巻(出版: 河北町誌編纂委員会 昭和41年)
最上紅花の研究(出版:東京・井場書店 昭和47年)
改訂最上紅花史の研究(出版:山形・高陽堂書店 昭和54年)
べにばな閑話(出版:山形・高陽堂書店 昭和55年)
最上俳壇史の史的覚書(出版:田宮印刷所 昭和61年)
<主な編纂物>
谷地郷土読本(出版:谷地教育会 昭和8年)
大町念仏諸帳(出版:山形県郷土研究叢叢書 資料篇第一輯 昭和15年)
最上紅花史料(出版:日本常民文化研究所 昭和17年)
山形県警察史 上・下巻(出版:山形県警察史編纂委員会 昭和42、46年)
山形県史農業編 中(出版:山形県 昭和44年)
山形市史 近世編(出版:山形市史編纂委員会 昭和46年)
河北町の文化財(出版:河北町文化財調査委員会 昭和46年)
河北町の歴史 下巻 (出版:河北町誌編纂委員会 昭和56年)
河北町の歴史 年表 (出版:河北町誌編纂委員会 昭和59年)